代表メッセージ
はじめまして。
代表取締役、管理者の高屋と申します。
訪問看護を初めて17年が経ちます。その間、たくさんの方々との出会いと別れを経験しました。懸命に生ききる姿に寄り添いながら、いつも「自分はどう生きていこう」とその姿から考えさせられる日々を過ごしてきました。そして、2021年7月にnurseららを立ち上げました。
訪問看護は毎日がドラマチックです。ハプニングも起こります。そんなハプニングさえも面白がれるような方に集まって欲しいと思います。失敗を恐れないチャレンジ精神のあるフレッシュで魅力ある仲間が私には必要です。
私が看護師になった理由
私の母親はいつも周りに分け与える人です。例え自分の分がなくなっても笑顔で「まいっか」と笑っているような人です。そんな母親に育てられた私は、小学校5年生の時、部活動中に突然激しい頭痛に襲われ、母親に連れられて受診をしました。病名は急性腎炎。養護学校が併設している国立病院に一年間入院しました。片道三時間ほどの距離でしたし、母親も仕事をしていましたから、そうしょっちゅう会えるわけでもなく、寂しい思いをしていました。けど、小児科病棟の看護師さんは時に母親、時にお姉さんのようにいつもそばにいてくれました。
あの時から看護師という職業を身近に感じていました。ですから、母親から「これからの女性は手に職つけないとね、看護師になりなさい」と言われ、迷うことなく看護師になりました。今では母親に感謝しています。
私の失敗
訪問看護一年目に経験した出来事です。
奥様が末期癌でご主人が介護をしていた老夫婦へ訪問していた時の話です。片道1時間の少し離れた訪問先でした。老夫婦にはお子さんがいなかったので、私を娘のように受け入れてくださっていましたが、距離が遠すぎて負担を感じていたのは正直な気持ちです。ある日、上司から呼ばれ、私が昨日膀胱留置カテーテルを交換した際にロックを忘れ、畳一枚だめにしてしまったとお叱りを受けました。上司と謝罪に行き、事業所負担で畳を交換してもらいました。その後ご主人に言われた言葉が今でも忘れられません。「私たちは、高屋さんがきてくれるのを楽しみにしていたよ。こんな失敗は大したことではない。けどね、実際の距離と心の距離は比例するね。もう来なくていいよ。」私の負担感を見透かされていました。1人で頑張りすぎないで、誰かに相談すれば良かった。それからはスケジュールを詰めすぎないように仲間に相談して協力をもらったり、抱え込みすぎたりしないようにしました。
今後の展望
私たち看護師の言動は思った以上に影響力があると思います。それは、訪問看護一年目のあの失敗から学びました。いつもオープンマインドで、辛いときは仲間に助けを求め、補い合えるチーム作りをしたいです。そして、もっともっと看護の話しをしましょう!!
たくさんの訪問看護ステーションがありますが、その中でも「訪問看護がららさんで良かった」と思ってもらえる方が一人でも増えていってほしいと思います。そして、ギバーの精神で幸せを分け与えていける、一緒にそんなステーションを作りましょう!